筆者も特に日本語に詳しいわけではないけれど、”最も”の使い方が変なのは以前から気になっていました。
1日1度は目にするのでは?というくらい頻繁に使われていて、こと文章では論理的におかしなことになってしまう。
最も~の一つである。最高の○○である。など、枚挙にいとまがない。
まず”最も”というのは”一番”という意味であり、これ以上の上は存在しないということである。
なので”最も”が複数存在することは論理的に有り得ないのである。
今時の運動会じゃないんだから!と常々思ってしまうけど、実際に多用されている言い回しです。
ただここで断っておくと、これにも例外は存在すると筆者は考えています。
基本としては数値化出来るものは”最も”が複数あることは稀有です。それでも”最も”が全く同じ、ということは有り得ると思うので、その旨を注釈すれば問題ないと思います。
また個人の感覚に由来するようなもの、あるいは数値化が困難で見る人に依って異なる結果が得られるようなものには”最も”が複数あっても不思議ではありません。
例えば最も好きな食べ物は?と聞かれたら2つ答えることも有り得るでしょう。いわゆる甲乙つけがたいというやつです。
他にも最も美しいと思うものは?など解が複数あっても違和感のないもの、つまり比較条件が難しいものは使用しても問題ないでしょう。
厳密には使用出来ないのでしょうが、この程度なら一般的に許容範囲かなと。
また、”最大級”や”最高級”などの表現も適切に使用すれば成立する言い回しでしょう。
しかしながら、特に数値化されているものに”最”をつけるのは非常に迷惑である!
というのもその文章を読んでいて、一番なのか一番の”ようなもの”なのか読み手に伝わりづらいのである。
思うに、こういった表現をする人は小さなこと大きく見せたい、つまり”話を盛りたい”傾向があると思う。
あるいは他人に認められたい、自分のことをもっと見てほしいなどの自己表現の一つとして誇張表現を行うのではなかろうか。
それでも複数あってはならないものを複数ある様に見せるのは、故意に事実を歪曲することだし誤解が蔓延する原因になると思う。
もちろん筆者も間違った日本語は多用していると思うが、それとは別問題なのである。
何が別問題かというと、”最も”を付けるだけで事実が変わってしまうからに他ならない。
極端な例だと、前述の運動会でいえば全員1位と一人が1位は全然違うわけです。
それをさも一番が複数いるように”偽装”することは、特にマスコミなど報じる側にあってはならないことだと思います。
しかし現実にはニュースを見ていると頻繁に見かけ「またか・・・」と思ってしまいます。
確かに日本語は解釈の余地が多分にある言語で、人に依って受け取り方が変わる言語だとは思いますが、この”最も”に関して特に報道においては解釈の余地があることなどほとんど無いのではなかろうか。
ここではあまり例示はしていませんが、実際に文章を少し注意してみるとよく見かける表現だと思います。
むしろどんなことにも”最”を付けたがる傾向があるようにさえ思えます。
基本的に”最も”は一つしかありません!